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冬眠します。

10月中旬から11月下旬にかけて日本に里帰りしていました。
毎回里帰りのたびに楽しみなのは、友人たちとの再会。
そんな中、一年ぶりに再会した皮膚科の先生。
先生の名前は宮元先生。目がくりくりっとして可愛らしく、いつ会ってもエネルギッシュなオーラを発している女性の先生です。先生を動物に例えるとしたらペンギン。診察券にもそのトレードパークのペンギンのイラストが描かれています。
20代前半の頃、私は顔と首を中心にひどいアトピーに見舞われるようになって、さまざまな皮膚科をジプシーのように渡り歩いていたのですが、一向に良くならず、ある日母の知り合いに紹介されたのが宮元先生でした。
一時はステロイド地獄に陥って顔がひどくただれ、家族と顔を合わせることさえ精神的につらい状態だったのですが、その先生の配合してくれる保湿クリームのおかげで、今ではほとんど普通の人と変わりなく生活できるようになりました。
自分にとって恩人とも言えるその先生のクリニックに一年ぶりに訪れ、処方箋を書いてもらいながら、「そういえば先生、一時期診療をお休みしていたと母から聞いたんですけど、病気でもされていたんですか?」と、ふと質問したことから思いがけない話を聞くことになりました。
「そうなの~。実はね、2年くらい前に、急に立て続けに病気になっちゃったの。胃潰瘍から始まって、十二指腸潰瘍になって、不整脈が出ちゃってね、それがほんの1年間の間に起こったの。不整脈なんかね、1日のうちに60回以上出たら異状っていうところを3,000回とか出ちゃって。自分でドクンっていうのがわかるのね。不整脈って、すっごく気持ち悪いの。それでね、ついにドクターストップがかかっちゃったのよ~。おかしいでしょ。医者なのにドクターストップなんて」
ハハハ・・・と、まるで他人事のようにケロッと明るく話している。
「でもね、なんか、私、責任感が強くって、自分が休んじゃったら来てくれてる患者さん達はどうなっちゃうんだろうって思ったら、休めなくて、仕事を続けていたの。でもそんな中、大学の時の同期の友人がね、突然死しちゃったのよ。原因はわからなかったのだけど、私はきっと過労じゃないかと思ってね。私もこのままいったら突然死するかも、って思ったの」
先生の話にすっかり引き込まれている私の横では、オクターヴが疲れと眠たさとで、ベビーカーの中で身体をくねらせながらぐずっている。でも、話の続きがあまりにも気になって、腰が上がらない。
「それでね、私、自分の患者さん10人に相談することにしたの。お医者さんなのに患者さんに相談なんてまたまた笑っちゃうでしょ?でもね、その相談する10人は、全員子供を持つお母さんを選んだの。それで、私は今、こうこうこういう状態なんですけど、休んでもいいでしょうか?ってね、聞いたのよ」
みんな休めって言ったでしょう?
「そうなの。10人中10人がみんな、先生、どうか休んで下さい、って言ったの。それでね、そのうちの一人はね、こんなことを言ってくれたの。それはね、先生、神様から休みなさい、って言われてるんですよ。だから、今は気にしないで休んで下さい。そのかわり、元気になったらまた始めてくれたらいいんですよってね。それを聞いてね、なんだか安心して、休もうって思ったの。それに、よく考えたら、自分の娘達のためにも突然死なんてしたら困るでしょ」
そうですよ。先生、フランスなんかね、お医者さんだって、バカンスに行くからって言って堂々と1ヶ月以上仕事休んじゃうんですよ。当たり前の権利なんですよ。
「あっ!やった!まただ」
えっ、先生、またって何です? ふと先生の視線を追ってオクターヴを見ると、さっきまであんなにぐずっていたのに、いつの間にかベビーカーの中ですやすやと眠り込んでいる。
「なんかね、患者さんが赤ちゃん連れてくるとね、泣いたりぐずったりしていても、大抵、私が話しているうちにみんな眠っちゃうのよね~。催眠術みたいでしょ」
全くとぎれることのない先生の流暢なおしゃべりは確かに催眠効果を発してるみたい。オクターヴが静かになったところで、また落ち着いて話を続ける私達。
「そう、それでね、休むことに決めたのが11月だったからね、ふと思いついて、紙に『冬眠します』って書いて、ペンギンが寝ている絵を添えて、クリニックの表に貼り紙したの。そんなふざけた医者いないよね。そうしたら、インターネットで、誰かに、あそこの医者は冬眠しますって貼り紙をしてるなんて、書かれちゃったみたい。ウフフ。。。それで、ある時なんか、クリニックにやって来た男性がその貼り紙を見つけて、『あれっ、冬眠しますってか。。。でも、それならきっと春頃には目が覚めるだろう』ってつぶやいて、納得して帰っていくのが聞こえて、おかしくってね」
その後、先生は、本当なら身体が全快するのに1年くらい休まなきゃいけないところを、たった1ヶ月休んだだけで回復してしまい、その後の3ヶ月で、今までよりもう少し手狭なビルを見つけて引っ越して、内装工事をして、結局はたった4ヶ月の休業だけで、本当に3月に再開業してしまったのです。
そして現在は、以前よりも診療時間を少なくして、無理のないペースで仕事ができているそうです。もっとも働き者で優しい先生は、診療日以外に、患者さんを見てあげる時もあるそうですが、それでも十分な休息がとれているそうで、全てのいきさつを話し終わった先生の顔をあらためて見ると、本当にイキイキとして見えました。
診察に訪れたつもりが、思いがけず、20分もこんないいお話を聞けて、しかも落語みたいなオチまでついて、診察室を出る時は、まるで、映画を1本見た後のようでした。
私の周りには、身体に危険信号が出ても、大丈夫大丈夫って自分を励ましながら仕事をしている頑張り屋のお友達がたくさんいます。私も20代前半の時に、ハードな仕事で身体を壊した事がありますが、それ以来、身体を壊してまでもしなきゃいけない仕事というのは人生にはないんじゃないかと思うようになりました。’もちろん身体を壊してまでもしなきゃいけない正念場’というものがこの世にあるのも知ってはいるのですが、やっぱりこの年になると身体が優先、と思ってしまうのと、フランスに来て、価値観が大分変わってきたように思います。
・・・ところで、ペンギンって冬眠、するんでしたっけ?
# by DegorgeRie | 2006-12-29 11:15

大地くん

日仏家庭の9歳の男の子に日本語を教えに行って来ました。
彼の名前は大地くん。サッカーとテレビが大好きな、素直でお茶目で優しい男の子です。
以前一度公園でばったり会ったことがあるだけで、話しをするのは初めて。この年頃の男の子に慣れていない私は、初対面なのに家でいきなり2人っきりという状況に妙に緊張。まるで付き合って初めて恋人の家に遊びに行ったみたいでした。

大地くんのママから、子供に日本語を教えてくれる人を探しているんだけど、誰か知らない?と電話があったのが10日ほど前。大地君のママとは、ブリュッセルに住んでいるアコーデオン友達を介して1年前に知り合いました。とても仕事が忙しい彼女とは、なかなか会える機会がないのだけれど、遊びに行くとゴハンを作ってくれたり、パリに長く住む先輩としていろいろなアドバイスをしてくれたり、尊敬している素敵な女性。電話で話しているうちに、もしRieさんが引き受けてくれたら私もありがたいけれど、赤ちゃんがいて大変かなと思って、と話が展開していって、その後私自身もよく考えた結果、引き受けさせてもらうことになりました。今日はその家庭教師の第一回目でした。
引き受けた理由のひとつには、私も彼女と同じ問題を抱えているからというのがありました。自分の子供に日本語を話せるようになってもらうにはどうしたらいいだろう。そのことが最近の一番の関心事になっている私にとって、これはいい経験をさせてもらえるチャンスと思ったからです。もちろん、人に日本語を教えるなんて初経験。こんな素人に務まるだろうかとの不安はあります。でも大地くんがもっと日本語に興味を持ってくれて、上達してくれたら嬉しいだろうな、、、と考えると挑戦してみたくなりました。

大地くんは普段、日本語で話しかけるママにたいていフランス語で答えています。日本語は結構理解できるけど、いざ自分が話す段階になると母国語であるフランス語の方が彼にとっては断然楽。街を歩いていて、日仏家庭にお邪魔して、私はこういう母と子のやり取りを何度か見てきました。最初はそのちぐはぐなやり取りに驚きましたが、日本語を覚えてもらいたいママと日本語を覚える機会がなかなかない子供の会話としてはスタンダードなスタイルなんだと気がついたのは、自分が子供を持ってからでした。

大地くんのママから、ひらがな、カタカナも大分忘れてしまっていると聞いていたので、まず自己紹介からはじめて、大地くんの好きな物の名前を日本語で5つあげてもらいました。大地くんの好きなものは、"スポーツ、おんがく、そば、カレーライス、テレビ"でした。自分の名前と自分の好きなものとそれぞれひらがな、カタカナで書いてもらい、ひらがなカタカナ表に、今日書いた字をマルしてもらい、その中で自分が覚えていて本を見ずに書けた字を二重丸で囲んでもらいました。この表を次回はA3くらいの大きさにして持って行って、書ける字が増えるたびに、色で塗りつぶしてもらい、最終的に全部色で埋まるようにしてもらえたらといいなと思ってます。

今日はたった1時間ほどでしたが、集中して勉強もらうのがこんなにも難しいのかというのが一番の感想です。世の中の先生はこういう子供を数十人相手にしながら勉強を教えているなんて驚異です。

家に戻ってきて夕方託児所にオクターヴを迎えに行ったら、保母さんが、一枚の色画用紙を見せてくれました。右隅にペンでオクターヴの名前が書いてあって、シールが貼ってあります。「これ、オクターヴが作ったのよ」シールを貼るだけの簡単な遊びですが、オクターヴが生まれて初めて作った芸術作品(?)と思うと、愛しくて嬉しくてたまりません。こんな小さい子供でも、色の好み、形の好みってあるんですね。いっぱいいろんな色のシールを貼っている子もいましたが、オクターヴは緑と青だけで数も少なく地味。まだうまくシールをはがしたりすることができないこともあると思いますが、彼のちょっと控えめな性格が表れていました。

今日は2人の子供の成長を垣間見られるいい日になりました。
# by DegorgeRie | 2006-10-11 14:15

2年ぶりのレッスン

昨日は家でアコーデオンの出張レッスンを受けた。レッスンを受けるのは2年ぶりだったし、先生も初めて習う人だったので前日からドキドキだった。
随分前から新しい先生を探していたのだけど、自分が好きな奏者はお年寄りだったり、演奏に忙しかったりと、レッスンをしてくれるケースは珍しい。
考えているうち、ふと、ある女性のアコーデオニストに頼んでみようと思い立った。
彼女の名前はヴィヴィアンヌ。3人の子供を育てながら(1人は赤ちゃん)、maM(マム)というグループで音楽活動をしている人だ。
ヴァイオリニストと組んで活動している彼女の音楽は、決して派手ではないけれど、温かく心に沁みるものがあって、何年か前に出会った時からとても好きだった。ジャンル的には、ミュゼットやジャズ、さまざまな国の伝統音楽をたくみにミックスして、オリジナル曲も精力的に作っている。私が以前習っていた先生を自分達のグループにゲストに招いたりしている関係で、私は何度か彼女に会っているので、彼女なら頼めるかもしれない。
でも問題は彼女はパリに住んでいないこと。それに赤ちゃんもいることだし、相当忙しい日々を送っているだろうと思う。
でもあれこれ考えてもしょうがない。まずはダメもとで一度メールで相談してみようと思った。すぐに返って来た彼女の返事は「パリには頻繁に行くから時々でよかったらレッスンOKよ。やってみましょう」そして最初に出したメールから1週間も立たないうちにレッスンを受けることになった。

妊娠、出産、育児でしばらく休んでいたアコーデオンを再開したのは何ヶ月か前。再開してすぐに、自分がまるで長い間使われずに物置に放置されていた古びた機械のように感じた。指がなめらかに動かない。操作がぎこちない。まるで、油が切れてキィキィ音を立てているかのよう。
これはレッスンを受けなければ、と切実に思った。ウォーミングアップ、そしてモチベーションアップのためにも。

ヴィヴィアンヌが楽譜がパンパンに詰まった古い皮鞄を抱えてやって来てくれた。鞄の縫い目の3分の1ほどがほつれてぱかっと開いているため、中の楽譜がこぼれそうになっている。
お互いに貴重な時間をやりくりしているため、挨拶や近況報告もほどほどに早速レッスン開始。ジャズのインプロの練習方法、伴奏のリズムの取り方など、私が知りたいと思っていたコツを惜しみなく伝授してくれる。彼女の音楽に対する姿勢にも、彼女の誠実さ、真面目さがにじみ出ているけれど、教え方もやっぱり同じで、安心感がある。
音楽だけではなく、女性としても可愛らしく、憧れてしまう。
約束の2時間があっという間に過ぎ、時計を見て驚いた彼女は、軽くパニック状態のまま「大変!次のランデヴーに遅れちゃうー。7区のグルネル通りってどこかしら」と慌しく中庭を駆けて行った。ふと見ると、部屋に、貴重な楽譜がいっぱい詰まった例の壊れた皮鞄がそっくり残されている。「鞄忘れてるー」と慌てて声をかけるとまたバタバタ走って戻ってきて、またメールでやり取りしようねー、と笑顔を残しながら、走り去って行った。
# by DegorgeRie | 2006-10-10 08:39

屋根の上のアコーデオン弾き

屋根の上のアコーデオン弾き_c0085370_93921.jpg私には、少ないながらも気のおけないフランス人の友達が何人かいる。
ギタリストのローランもその一人。
もう3年も前に私が地下鉄で演奏していた時に偶然通りかかって「一緒に練習しない?」って声をかけてきてくれたのが彼だった。最初はバイオリンとギターとアコーデオンという編成で練習を始めたのだが、いつの間にかメンバーが変わって、最近はギタリスト2人と私。週末になるとお互いの家に集まって練習したりしている。
今日は2ヶ月ぶりにローラン宅で音あわせ。フランス人のバカンスはたいてい1ヶ月と長い上、この夏のメンバーのバカンス時期がものの見事にずれてしまったため、近頃なかなかみんなの顔が揃わなかった。
アパートの入口のドアを押して中庭に入り空を見上げると、ローランと彼の恋人、ノガが最上階の窓からこちらに向って手を振っていた。
「今降りてくからちょっと待って!」
窓から叫んで30秒もしないうちにローランが少し息をはずませて1階まで降りてきた。エレベーター無しの最上階6階までアコーデオンをかついで登るのはいつもローランの役目。その足取りが今日はなぜか妙に弾んでいる。
階段を軽やかに登りながら彼の口から思いがけない言葉が飛び出した。
「Rieは屋根に登ったことある?今日は屋根の上で練習しようよ」
えーっと、屋根???私の聞き間違いじゃないよね。屋根の上って今言った?
部屋の前に到着すると、ノガともうひとりのギタリスト、ブノワが待っていた。
すかさず「そんなのやめなよ。危ないでしょ」と、ノガ。
だいたい屋根の上にどうやって登るの?
「はしごがあるから平気」
だって楽器かついでなんて登れないでしょ。
「大丈夫大丈夫。心配しないで。とにかく、超気持ちがいいんだから~」
ローランは私の中では、ラテン気質そのものという感じで、頭より身体が先に動く、根っからの楽天家。
それに対して、ブノワは、ラテン気質ではあるけれど、どちらかと言えば筋道を立てて冷静に物事を熟考する慎重派タイプ。
その彼も「俺も屋根の上はちょっと怖いなあ。楽器が弾けるようなリラックスした状態でいられるかどうか」と少し心配顔。
でもローランはかなりのハイテンションで、もう完全に"屋根の上で練習モード"になってしまってる。
お茶を飲んで、一息ついた後、「じゃあ屋根の上行こう」とさくさくと準備を始め出したローラン。
演奏できるかどうかはわからないけど、前から一度屋根の上に登ってみたいと思っていた私。好奇心がむくむく湧いて来て、とりあえず様子を見に登ってみよう、ということに。

階段の踊り場の天井には屋根に通じる四角い窓があり、普段は木の板でふさがれているのだけどその板をぱかっと開けて、そこにはしごをかける。
私たちが階段を立てかけてさあ、登ろうという時に、ローランと同じ階に住むお向かいのおじいちゃんが階段を下からゆっくり登ってくる。外出から帰ってきたようだ。ローランがすかさず、「これから屋根の上で練習だよ。いいでしょ」と言うと目を丸くして一瞬何のことか理解できなかった様子だったけど、笑って、私達が無事登っていくのを見守ってくれる。屋根の上には思ったより簡単にほんの数秒で無事到着。
屋根の上のアコーデオン弾き_c0085370_8451295.jpg
そして、そこで見たもの。初めて登ったパリの屋根の上。
なんて気持ちいいんだろう!!
それは、想像していた以上のものだった。
10月の太陽は優しく微笑み、力強い風は時折ブルーグレーの屋根の間を駆けていく。
エッフェル塔が遠くの方に、お土産屋さんで見かける小さな置物のように可愛らしくぴょこんと頭を出している。
屋根の傾斜は思ったよりも緩やかだし、スペースも20畳分くらい(パリの屋根なのに畳で勘定するのもヘンだけど)あるだろうか。ちょっとしたテラス風。思ったより広々しているから下の道路が見えることもなく、恐怖心はほとんど感じない。これなら、ちょっとしたカフェが開けちゃうかもと非現実的な妄想が沸いてくる。屋根の上のカフェ。

ブノワもこの思いがけない新しい練習室にご満悦な様子。でも「危険な感覚がしないのがかえって危険。屋根の上ということをつい忘れてしまうと、普通に歩いていって落ちてしまうかもしれないよ。気をつけて」と能天気な私達にきちんとアドバイスすることも忘れない。それはその通り、ちょっとした心のゆるみが大惨事になりかねないと、肝に命じる。
そして、早速練習開始。でも楽譜を置こうとするとすぐに風がぴゅーっとやってきて飛ばされそうになる。必然的に楽譜は片付けなければならなくなる。でもこうなってみると、これはこれで曲を覚えるいいきっかけになる。
屋根の上のアコーデオン弾き_c0085370_982745.jpg屋根の上のアコーデオン弾き_c0085370_912923.jpg
(左:ローランと私。右:ブノワとローラン)

映画"アメリ"の曲を1曲弾き終わったところで、どこからか「ブラボー」という声。振り返ると道をはさんだ向かい側の最上階の住人が窓から顔を出している。演奏を聴いてくれるのは屋根の上の住人であるハトくらいと思っていたのでちょっとビックリ。でも嬉しくて3人で手を振って応える。
屋根の上のアコーデオン弾き_c0085370_8513581.jpg屋根の上の練習室で発見したこと。それは、曲に対してとても集中できるということ。部屋で練習する時のようにパソコンやビデオなど情報機器がまったく何もないから注意が散漫になることがない。それに、野外で練習する時は何かといろいろな人が話しかけてきて集中できないことが多いけど、ここならまずそんな心配はない。
フランスのシャンソンに"パリの屋根の下"っていう曲はあるけど、"パリの屋根の上"っていう曲がないのは残念。3人でこういうタイトルの曲をオリジナルで書いたらどうだろう。
屋根の上で練習、なんてもちろん堂々とできる行為じゃない。でも、天気がよくて気持ちのいい日は、しばらくこの練習スタイルがやみつきになりそうだ。
屋根の上のアコーデオン弾き_c0085370_8543517.jpg

(練習しているうちにだんだん日が暮れて太陽が落ちてゆくのが見える。これは夜7時くらいの風景。左の方にエッフェル塔が)
# by DegorgeRie | 2006-10-02 11:23

アコーデオンの岸辺にて

先週末は、久しぶりにアコーデオン漬けの2日間を過ごした。
「Des Rives d'Accordéon(アコーデオンの岸辺)」というフェスティバルがパリで開催されたのだ。
パリに住み始めてもうすぐ4年。でも、意外なことに、こんな大きなアコーデオンのイベントが開催されるのは初めてのこと。
会場となったラ・ヴィレットは、近代的なコンサートホールや美術館が点在するアミューズメントパーク。その昔ここは、家畜の屠殺場だったらしいが、今はそんな生々しい面影は跡形もなく、緑あふれる憩いの公園になっている。
開催前日、このイベントの初日にアマチュアの演奏コーナーがあると友達に聞いて、担当者に参加したい旨の電話をかける。インターネットでの申込みはとっくに終わっているから、駄目かなあ。いやいや、でも、ここはフランスだから。。。すると拍子抜けするくらいあっさり「全く問題ありません」と返事がかえってきた。
さすがフランス人は企画・段取りがアバウトでいいなあ。そんなわけで、急遽、イベント関係者として参加させてもらえることになった。

アコーデオンの岸辺にて_c0085370_1122399.jpg当日集まったアマチュア・アコーデオニストは約20名。主催者側のコンセプトは、野外のコンサート会場へ続く道の両側にアコーデオニストが等間隔で座り、コンサート前の賑やかしとして30分間思い思いに演奏するというもの。そしてコンサート開始5分前には会場から一番遠くの演奏者から順々に立ち上がって、演奏しながらお客様を誘導していく。1人、2人とアコーデオニストの流れが大きな川になっていき、最後は全員で演奏なんて、グッド・アイデア。でも、さすがはフランス。アイデアはいいけど、詰めが甘い。最後は一人一人勝手に演奏して、何となくばらばらと終了。私だったら、最後はお馴染みの曲を全員で合奏して、ラストを華々しく盛り上げて・・・なんて発想してしまいそうだけど、はりきり過ぎず、肩の力が抜けたフランスの企画センス。みんな満足そうな顔をしているし、このくらいでいいのかも。

そんな道端での演奏中に、フェスティバルの取材に来ていた一人のムッシューと仲良しになった。彼は、フランス南部の町、ピレネーで、「Accordéon sans frontières(国境なきアコーデオン)」というラジオ番組を持つパーソナリティ、そして自らもアコーデオン奏者だという。記念すべき500回目の放送となる9月9日は、フランス・アコーデオン界の女王イヴェット・オルネがゲスト。往年のファンにとっては聞き逃せない放送となるに違いない。
2日間のフェスティバルで、さまざまなジャンルから呼び集められたアコーデオニスト達。
なかでもとりわけ私の心を惹きつけたのは、トゥールーズから来たアコーデオン3人組。彼らはスペインや東欧系のさまざまな伝統音楽をミックスして濃厚でオリジナルなサウンドを作っていた。身体の中を龍が駆け抜けていくような力強い音のうねり。アコーデオンだけで結成されたグループはあまり聞かない私も、彼らの音楽にはすっかり魅了。
そして、チベット人の若手女性アコーデオニストの演奏が聴けたのも貴重な体験。祖国の音楽を独特のリズム感で表現し、小さな身体でアコーデオンを自在に操る。

アコーデオンの岸辺にて_c0085370_11255922.jpgアコーデオンの岸辺にて_c0085370_11275141.jpg
(写真左:人懐っこい笑顔のダニエルとチベットのアコーデオニストMan Xinと)
(写真右:衣装をほめたら、演奏より衣装の方が良かったって言われるのがコワイ~だって)

そして、2日間のフェスティバルのラストを飾るのは、bal musette(バル・ミュゼット)。バル・ミュゼットとは1900年代初頭にパリの下町で大流行したダンス音楽のこと。パリに労働を求めてやって来たフランスの田舎のオーヴェルニュ人とイタリア移民が夜な夜なダンス・パーティーを開いた事から生まれた音楽である。ディアトニック・アコーデオンのダニエル・ドネショー率いるこのバンドは、当時使われた楽器や衣装のスタイルにこだわるのはもちろん、客の乗せ方も当時のパリジャン訛りの話し方で雰囲気を盛り上げる。現在、この古き良き時代を偲ばせる演奏は彼ら以外に聴く事ができない、という貴重なグループだ。
アコーデオンの岸辺にて_c0085370_11295738.jpg
(↑友達のジャン・イヴとジャン・クロードもbalに参加。彼らとは、2年前、日本でコンサートツアーを企画して東京と新潟を一緒に回った)

どういうわけか私はこのダンス音楽にやたら弱い。特にこのバル・ミュゼットに合わせて楽しそうに踊るダンサーの顔を見るとどうにも涙腺がゆるんでしまう。以前、一度、自分が演奏している最中に、居合わせたみんなが突然手をつないで踊り出す幸せな瞬間を体験したことがある。透明な水の中にインクをほんの一滴ポトンとたらした時のような、一瞬で空気の色が変わる音の魔法。私はこの時、初めて、音楽を演奏する真の喜びを味わったように思う。
演奏が進むにつれて、ダンスの輪は少しずつ広がっていく。ダンサー達は必ずしも男女ペアというわけではない。スペインの伝統音楽パソ・ドブレがかかると、もうたまらないとばかりに、手を取り合いギャロップを始める、高校生くらいの若い男の子2人組。青春時代にダンスホールに通ったに違いない白髪の上品なマダムが2人、頬を赤く染めながら踊りの輪に加わる。赤ちゃんを腕にくるくる踊る幸せそうな若い夫婦。そして、淡々と音楽を奏でるミュージシャン達もその楽しそうな様子をちらっと見ては、時々満足げに顔をほころばせる。
演奏がすべて終わって鳴り止まない拍手の音を聞きながら、ふと空を見上げると頭上には果てしなく濃紺の空。子供の頃、夏休み最後の1日が終わろうとする瞬間、急にその事実を悟って胸がきゅんとなった。その甘やかでせつない記憶がふいに押し寄せた。
今年の夏よ、さようなら。
アコーデオンの岸辺にて_c0085370_11334455.jpg

# by DegorgeRie | 2006-09-01 08:21

パリのアコーディオニスト Rie のオフィシャルブログ


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