メイド・イン・ジャパン

先週末は三連休だったため、友達のギュロン家の別荘に遊びに行ってきました。
ここは、30年来になる夫の友達である陶芸家のクリスティーヌのお母さんが所有している別荘なので、私たちはたびたびご好意に甘えて泊まりに行っているのですが、初めて行った時はびっくりしました。
何がすごいって、まず広い。17ヘクタールの敷地は深い森に包まれ、野生のシカや野うさぎが住んでいます。小さなお城が1つと、小さな家が2つ、ボート遊びや釣りが楽しめる小さな湖とテニスコートと陶芸のアトリエと果樹園と野菜畑と・・・。田舎暮らしに憧れている人にはまたとない環境です。
私たちがお邪魔するのは春や夏が多いのですが、この時期、彼らは男女関係なく総出で働きます。広大な芝生の草刈り、倒木の除去、傷んでいる家屋の修繕など、膨大な肉体労働を淡々とこなします。農作業用のトラクター(フランスでもクボタが有名)もプロ並みに扱います。
以前クリスティーヌに、日本に里帰りするからお土産は何がいいかと聞いたら、「ぜひ軍手をたくさん買ってきて。日本の軍手は素晴らしい」と即答。陶芸家だから土を混ぜる時に使うのはわかるけど、なぜそれほど大量に?と思っていたわけが、ここにきて初めてわかりました。
先日母がこちらに遊びに来た時に彼らのために軍手を1ダース買って来てくれたので、お土産に持って行ったらみんな大喜び。夕食の時にまではめていた男の子がいました(肉汁でべとべとにしてたけど)。
c0085370_23422147.jpg

[PR]
# by degorgerie | 2008-08-21 23:58

きゅうりの行方

先日1年以上ぶりの更新が、どういうわけかきゅうりの話題だったのですが、その後の報告を少し。
週末に友人の別荘で食べるつもりで持って行ったきゅうりは結局食べずに持ち帰り、昨夜、我が家で食べてみました。ネットでレシピをあれこれ見て迷ったあげく、オクラときゅうりのひんやりスープときゅうりの中華漬けの2品を作ってみました。
スープはパパきゅうりを半分使い、輪切りにして塩もみしたきゅうりと、同じく輪切りにしたオクラを牛乳ベースの冷たいスープに浮かべるというもの。中華漬けは、ママきゅうりと子きゅうりの2本に塩をまぶし板ずりし、乱切りにしてからたれに漬け込みました。
ここから急に話は飛びますが、この板ずりって、はじめ固かったきゅうりが塩を擦り込まれて、次第に人間の肌をすりすりしているみたいに柔らか~くなってくる感じがちょっと気持ち悪くないですか?まるで雪山で死にかけてる人を見つけて「オイ!生きてるのか?」とか言いながら腕をさすっているうちに、あっちの世界に半分足をつっこんでいた人がこっちの世界に戻ってくるような感覚なのですが、私だけの妄想でしょうか。
さて、お味の方ですが、まずくはありませんでした。でも、きゅうりの持ち味を料理に生かすためにはもっと研究しなければならなそうです。もしくは、あまり凝った料理をするよりは、となりのトトロのメイちゃんみたいに、採れたてをガブッてまるかじりするのがいいのかも。
このきゅうり、切ってみると、皮の固さに対して中はめちゃくちゃみずみずしくやわらかいんです。そして、メロンの種によく似た種が結構たくさん入っています。
パパきゅうりがまだ半分あるので、楽しみがちょっと残っているのですが、ネットでレシピを検索していたら、にんじんと玉ねぎときゅうりの千切りをコンソメで煮てかき卵にするスープが紹介されていて、「駅前の喫茶店のランチについてくるスープをイメージしました」というコメントがツボに入って、俄然作ってみたくなりました。
c0085370_928581.jpg

[PR]
# by degorgerie | 2008-08-19 09:54

きゅうり一家

アパートの管理人さんであるジロが一晩留守をすることになった。それで、夫が朝のゴミ出しを引き受けたら、そのお礼に家庭菜園で採れたきゅうりをくれた。
「パパとママとオクターヴに3人分くれたよ」って持って来たきゅうりを見て爆笑。なんだかほんとに3人がきゅうりに変身したみたい。
ユーゴスラビア人のジロは、「オオカミと7ひきの子やぎの、子やぎを6匹丸呑みしちゃったオオカミ」みたいなおなかをしている。人懐っこい笑顔とオチャメな性格。身体も大きいけれど、心も大きくて、私たち住人にとって、駆け込み寺のような存在。洗濯機が壊れた、水漏れがとまらない、など生活上の厄介事が発生すると、みな彼に相談するのだ。
さて、このきゅうり。あまりに可愛くてもったいなくてまだ食べてないけど、この週末、友人の別荘に持って行ってみんなでいただくつもり。どうやって食べたらいいかな。
c0085370_9161167.jpg

[PR]
# by degorgerie | 2008-08-15 09:19

アパート探しという職業

パリの冬は長い。毎年、春が来ると同時にパリの人がすることは、表に出てカフェのテラスでビールを飲むことと、公園で日光浴すること。その姿はまるで甘いものにむらがるアリの群れ。パリにはこんなに人が住んでいるのか、と思わせられるほどたくさんの人々がどこからともなくやってきて、カフェのテラスをびっちりと占領する。もちろん、自分もその仲間の一人だ。
今日の天気はまさに、「テラスでビール」日和。お日さまはどこまでもぽかぽかと暖かく、今年初めて「ああ、春が来たなあ」と感じさせる天気である。

4月1日に引越しが決まった。今度のアパートは、パリの東側に当たる20区で、今現在住んでいる17区からは少し遠い。実はこのアパートに引っ越すことが決まるまでには、実に2年以上の歳月を費やした。お腹に赤ちゃんを抱えていた頃からである。
アパートを買うならいざ知らず、たかが借りるだけなのに2年というのはおかしい話である。本音を言うと随分前からアパート探しに心底疲れ果てていて、私達の予算内では気に入るアパートはもう一生見つからないと思うくらいだった。毎日インターネットで寄せられてくる膨大な広告を選別し、木曜日の朝は早起きして、個人の住宅情報誌を買いにキオスクへ走り、情報をくまなくチェック。数えてはいないがおそらく何千という広告を目にし、100件近くの物件を見学したはずだ。このおかげで私は住宅情報のチェックが異常に早くなった。その物件がいいか悪いか即座に判断できる。「アパート探し」という肩書きを名刺に書きたいくらいである。
ではなぜ、アパート探しにこれほどまでに労力がいるのか。それもこれもみんな数年前からの家賃の異常な高騰が原因である。そのおかげで、パリにはたくさんの住宅難民がいて、そのことは現在、パリ市の深刻な問題にもなっている。こんなご時世だから、手頃な値段のコンディションのいい物件には、当然たくさんの志願者が殺到する。そして選ばれるのは、そのうち最も給料の額が高い家庭、というような具合である。

日本で賃貸アパートを借りる時、普通は、一番先にそのアパートを借りたいと申し込みをした人に借りる権利がある。しかし、パリではそうではない。まず書類である。
物件を気に入ったら、不動産屋あるいは大家に書類を提出する。その書類の量がハンパではない。住む人の身分証明書、会社で働いている人なら雇用契約書、一番最近の給料明細書、前年度の税金支払い証明書、今住んでいるアパートの家賃支払い証明書3か月分、さらに、保証人がいる場合は、保証人となる人の書類、などなどである。
それらの書類を物件見学と同時に即座に提出できるような状態でなければ、もはや勝ち目はないも同然である。もちろん、大家や不動産屋は入居希望者の人柄なども当然見るわけなので、できるだけ好印象を与えようとこちらも努力する。なんだか、日本の私立幼稚園、小学校のお受験騒動に似ているような気がしないでもない。

そんな中、私達が今回気に入った物件に巡り会えて、大家さんに選んでもらえたというのは、大げさではなく宝くじに当たったような気分である。
今度の家は、3階建ての低層アパートの地上階。部屋は2部屋なので3人家族には決して広いとは言えないが、パリのアパートでは珍しいプライベートな庭付きである。盆栽や庭いじりが大好きなフレデリックがずっとこだわっていた庭付きアパート。その彼が意地と執念でものにした物件と言えるかもしれない。

フレデリックと知り合ってから3年近く住んだこの17区には、いつも子供にパンの切れ端をサービスしてくれる顔なじみのパン屋さん、豚肉をできるだけ薄くスライスして下さい、と気兼ねなく頼めるお肉屋さん(フランスでは肉はみんな塊で売っているため)もある。同じ建物内に住むお隣さんと別れるのも寂しい。
でも2年間のアパート探しの末にたどり着いたアパートなのだから、今度はきっと20区と縁があるのだろう。私がフランスに来て初めの半年間住んだのもこの20区だ。

「引越しはパワーだ」と吉本ばななは小説キッチンの書き出しで書いていたと思うが、まさにこれからそのパワーが必要とされるとき。さあ、新しい生活のスタートだ。
[PR]
# by DegorgeRie | 2007-03-07 21:01

おかげさまで40歳

おかげさまで○○周年。百貨店やスーパーの何周年記念キャンペーンで頻繁に使われるフレーズだ。
2月21日、今日は私の誕生日である。この40年間、どれだけいろいろな人にお世話になったかということを考えていたら、ふと、この「おかげさまで」という使い古しの言葉が浮かんでしまった。
おかげさまで40歳。我ながらいいキャッチフレーズだ。

子供の頃、オバサンの年齢というと、漠然と40歳を想像した。誰もがそうであるように、自分がその年齢になる日が来るとはまるで信じられなかったものだが、長く生きていればその日は確実にやってくる。

20歳の誕生日の時には、当時読んでいた椎名誠の「海を見に行く」という写真集に影響されて、電車に乗って海を見に出かけた。とても寒い日で、適当に電車に乗って海が見られそうなところを目指したが、とうとう海には出会えなかった。

30歳の誕生日もよく覚えていないが、おそらく一人で過ごしたと思う。でも後日、私の誕生日を知って、内緒で仲間を集めて、ビックリ誕生日パーティーを開いてくれた人がいた。
彼、きよしさんは、無名ではあったけれど、とても才能のあるお芝居の演出家だった。宮沢賢治や志ん生を題材にホロリと心に沁みるお芝居を演出し、小劇場で上演した。私は彼と知り合ってまもなく、アコーデオンを始めるようになり、始めてまもない私に、初めて演奏の機会を与えてくれたのは彼だった。
彼は普段、お金を得るために、お母さんが経営する代田橋のスナックのバーテンとして働いていたため、私達はよくそのスナックに入り浸ってただ酒を飲んだ。私ときよしさんは実の兄妹のように連絡を取り合い、映画を見、本音を話した。そして、彼のお母さんもまた、第2のお母さんという位に私を可愛がってくれた。
その純粋で優しく繊細すぎる性格からきよしさんは次第にアルコール依存症に陥るようになった。入退院を繰り返すようになって、彼がお芝居にかかわっていた頃の仲間と疎遠になっていってからも、私はずっと彼と連絡を取り合っていた。彼も病棟から私に度々手紙を書いて送ってくれた。時には芝居の台本のような内容のこともあった。
パリに旅立ってからも彼のことが時々気になったが、自分のことに精一杯でほとんどメールも手紙も書かなかった。2年前の秋、やっと一時帰国できることになり、パリでのさまざまな出来事を報告しようと彼に連絡した時には、遅かった。私が帰るほんの何週間か前に天に召されたと、きよしさんのお母さんから聞いた時には、どうしてあとほんの少し待ってくれなかったのだというやるせない思いとともに、彼に対して連絡を怠った自分を責めた。

早いものであれから2年。きよしさんが神様に召されたのとちょうど同時期に私は子供を授かり、人の生き死にの不思議について考えさせられた。
40歳の誕生日に記念に何か書こうと思ったら、思いがけずきよしさんのことを書くことになったが、彼もきっとこの良き節目を天国から見守ってくれているだろう。
[PR]
# by DegorgeRie | 2007-02-21 22:20

パリのアコーディオニスト Rie のオフィシャルブログ


by Rie
プロフィールを見る