2007年 02月 21日 ( 1 )

おかげさまで40歳

おかげさまで○○周年。百貨店やスーパーの何周年記念キャンペーンで頻繁に使われるフレーズだ。
2月21日、今日は私の誕生日である。この40年間、どれだけいろいろな人にお世話になったかということを考えていたら、ふと、この「おかげさまで」という使い古しの言葉が浮かんでしまった。
おかげさまで40歳。我ながらいいキャッチフレーズだ。

子供の頃、オバサンの年齢というと、漠然と40歳を想像した。誰もがそうであるように、自分がその年齢になる日が来るとはまるで信じられなかったものだが、長く生きていればその日は確実にやってくる。

20歳の誕生日の時には、当時読んでいた椎名誠の「海を見に行く」という写真集に影響されて、電車に乗って海を見に出かけた。とても寒い日で、適当に電車に乗って海が見られそうなところを目指したが、とうとう海には出会えなかった。

30歳の誕生日もよく覚えていないが、おそらく一人で過ごしたと思う。でも後日、私の誕生日を知って、内緒で仲間を集めて、ビックリ誕生日パーティーを開いてくれた人がいた。
彼、きよしさんは、無名ではあったけれど、とても才能のあるお芝居の演出家だった。宮沢賢治や志ん生を題材にホロリと心に沁みるお芝居を演出し、小劇場で上演した。私は彼と知り合ってまもなく、アコーデオンを始めるようになり、始めてまもない私に、初めて演奏の機会を与えてくれたのは彼だった。
彼は普段、お金を得るために、お母さんが経営する代田橋のスナックのバーテンとして働いていたため、私達はよくそのスナックに入り浸ってただ酒を飲んだ。私ときよしさんは実の兄妹のように連絡を取り合い、映画を見、本音を話した。そして、彼のお母さんもまた、第2のお母さんという位に私を可愛がってくれた。
その純粋で優しく繊細すぎる性格からきよしさんは次第にアルコール依存症に陥るようになった。入退院を繰り返すようになって、彼がお芝居にかかわっていた頃の仲間と疎遠になっていってからも、私はずっと彼と連絡を取り合っていた。彼も病棟から私に度々手紙を書いて送ってくれた。時には芝居の台本のような内容のこともあった。
パリに旅立ってからも彼のことが時々気になったが、自分のことに精一杯でほとんどメールも手紙も書かなかった。2年前の秋、やっと一時帰国できることになり、パリでのさまざまな出来事を報告しようと彼に連絡した時には、遅かった。私が帰るほんの何週間か前に天に召されたと、きよしさんのお母さんから聞いた時には、どうしてあとほんの少し待ってくれなかったのだというやるせない思いとともに、彼に対して連絡を怠った自分を責めた。

早いものであれから2年。きよしさんが神様に召されたのとちょうど同時期に私は子供を授かり、人の生き死にの不思議について考えさせられた。
40歳の誕生日に記念に何か書こうと思ったら、思いがけずきよしさんのことを書くことになったが、彼もきっとこの良き節目を天国から見守ってくれているだろう。
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by DegorgeRie | 2007-02-21 22:20 | Comments(25)

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